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[連載]観光立国のフロントランナーたち 全国免税店協会 阿部英行会長(2)

2017/02/20
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日本のインバウンドビジネスの開拓に奔走するジャパンインバウンドソリューションズの中村好明社長が訪日ビジネスの最前線を進む人々を迎え、「観光立国」実現に向けた道筋について語り合う大型対談「訪日ビジネス最前線 観光立国のフロンティアたち」。全国免税店協会(全免協)の阿部英行会長の第2回では、阿部会長が免税ビジネスにかかわることになったきっかけについて、お話しをうかがいました。

小さなスペースでスタート、ビル半分が免税店に

中村 40年以上前の業界はどんな感じだったのでしょうか。

201702201412_1-300x0.jpg阿部 私は1955年に新潟県新発田市で生まれました。実家が家電販売店で、長男でしたから跡取りですよね。私もそうだと思っていました。中学時代は別に成績が悪いわけじゃなかった。どちらかというといい方だったんですが、父には「大学はいいから、地元の商業高校へ行け」と言われました。それで商業高校に入りました。3年生になって卒業後の進路を決めたいので、父に「(自分が)家業を継ぐのか」って聞いたんです。すると、「丁稚奉公に行け」と。もうどこに就職するのかも決めてあるんです。

全部とにかく父が決めちゃうんですよ。怖くて逆らえないんですよね(笑)。1974年、18歳のときに上京して、入社したのがラオックスでした。当時はまだ朝日無線電機という名前で、私が入社して3年くらいたって社名が変更されました。

それで入社して最初に任されたのが本当に小さな免税のコーナーだったんです。ビルの3階にスペースに90センチくらいのカウンターがあるだけのスペースでした。そこにテレビ2台、ラジオが3、4台、テープレコーダーが2台でおいていました。

中村 それが原点ですか。もちろん当時は物品税の免税ですね。

阿部 そうです。これがまた面白くて、当時のお客さんは大きく分けて3つなんですよ。台湾3割、韓国3割、米国3割。あとのお客さまはさまざまな国でした。最初は何を言っているのかわからなくて…。お客さんがいろいろ使い方を聞いてくる。分からないから、顔色を見ながら「ノー」って言ったり。そんなレベルでした。

中村 まだ、18 歳とか20歳くらいのころですよね、

阿部 実は私、小学3年生のときに英語を習っていたんです。たまたま町にキリスト教の宣教師がいて、その奥さんが子供たちを集めて英語塾を開いていて、僕もそこに通っていたんです。だから、そんな変なアレルギーみたいなのはなかったですね。まずは初歩から勉強しようと、中学時代の教科書を実家から送ってもらいました。

そんなことしているうちに私の同期社員は、どんどん売り上げを伸ばしている。でも、こちらは90センチのカウンターですから売り上げがあがらない。それで少しずつカウンターを広げてったんですよ。周りに分からないように。気が付いたら、ずいぶん広くなっていましたね(笑)。

中村 でも、そのときには免税ビジネスの可能性を感じてらっしゃったのではないですか。

阿部 んー。なかなかね。売り場が10坪(約33平方メートル)くらいになったときでも月商2000万円いかないんですよ。そんなあるとき、店長が「阿部君、7階でどうだ。半分フロアやるぞ」って言われたんです。免税コーナーは最初、2階で始めて、そのあと、3階に移っていました。5年くらい3階でやっていたんです。7階の催事場はあまり稼ぎがよくなかったので、店長はそんな話を持ちかけたのですが「外国人が7階まで来るかな」と不安でした。でも「ここは勝負」とチャレンジしました。それが大成功したんですよ。

10坪ほどの売り場は50坪くらいになりました。すると、売り上げは5000万円くらいに伸びたんです。その勢いで7階の全フロアに広げると、1億円くらい売れるんですね。6階、5階、4階と売り場を増やし、とうとうビルの半分が免税売り場になっていました。

円高逆風で海外赴任者をターゲットに

201702201412_2-300x0.jpg中村 順調に伸びた理由は何だったのでしょうか。

阿部 「ピンチの後はチャンスあり」ということだと思います。例えば1985年のプラザ合意。円高が急速に進行していろいろな国内産業が海外に出た時代です。当時の為替が1ドル220~230円だったと思うんですが、一気に150円くらいになりました。外国人相手の商売はことごとくだめになって、私のところも売り上げが半分になりました。

そこで逆に、日本を離れる人を狙おうと考えました。「海外赴任はもうお決まりですか」というパンフレットを作って、社員みんなで毎日残業して、割引券と一緒に封筒に入れました。それを社員が総出で配りました。毎週月曜日と金曜日、朝6時半から車にパンフレットを積んでJR東京駅や地下鉄大手町駅など海外と関連する企業が集中しているエリアを中心に配布をしました。これを半年間続けたら、ものすごい反響がありました。

中村 その仕事は楽しくてしょうがなかった?

阿部 いやもう必死。必死でしたよ(笑)。あの時の苦労は…。まだ一束くらいとってあるんですが、苦労しているときにあのパンフレットを見るんです。すると、何となく力が湧いてくるんですよ。

国内の有名メーカーを手玉に

阿部 アイデアで勝負することもあります。実は先日の中国ブームは「第2次」で、1988年ごろに「第1次」のブームがあったんです。このときは中国人留学生が、帰国する際にアルバイトで貯めたお金で電気製品を買っていきました。一人当たり30万円から50万円使うので、売り上げがものすごいんです。

ところが89年ごろ、中国人を対象に免税品を売る中国の国営企業が日本に進出してきたんです。パナソニック(当時は松下電器産業)、シャープ、ソニーなどの家電商品を日本で大量に安く買い付けて中国に輸送して、向こうの保税区に保管するんです。日本では切符だけを売り、製品は現地で受け取る仕組みです。「日本でせっかく稼いだ外貨を日本に使わず、中国の会社に使いなさい」ということです。

僕らの会社で50台くらいしか仕入れないものを平気で1000台も仕入れるんですから、値段も安くて、例えば、うちの会社が10万9800円で売っている商品が、なんと7万9800円ですよ。しかも、日本で買えば必要になる3万円程度の送料もかからない。これじゃ、勝ち目はありませんよね。日本メーカー各社に「こういうのは止めさせてほしい」と訴えても改善してもらえませんでした。

中村 国内販売じゃないからでしょうか。

阿部 このままでは、やられっぱなしです。そこで北京にある親会社に掛け合うことにしました。世界で同じような免税ビジネスを展開していました。北京に行って、その会社に「うちと組まないか。うちと組んだら、もっと売れるよ」って。メーカーにはダマテン(内緒)でやろうと契約をまとめたんです。すると、北京から逆輸入して、その製品はどの店よりも安く売れる。ライバル店は10万9800円で売られているものがうちだけ6万9800円ですからね。

中村 国内メーカー各社からは何も言われなかったんですか

阿部 こっちがさんざん文句言ったときに各メーカーは是正しなかったわけです。だから私たちに安売りを止めてくれと言えなかったのでしょう。それで市場を独占できてしてしまった。

中村 次回は、ラオックスを独立され、免税店を自ら経営された当時についてお話しをおうかがいします。

阿部英行(あべ・ひでゆき) 1974年朝日無線電機(現ラオックス)入社。海外事業部長として同社の免税品販売を担当してきた。関連子会社のダイオー、神田無線電機の社長を歴任後、2002年に退社。同年免税店を展開するアッキーインターナショナルを設立、社長に就任した。現在、東京・秋葉原を中心に国内に4店舗の免税店を展開している。2005年輸出物品販売場等税務懇話会会長に就任。14年から輸出物品販売場等税務懇話会から名称変更された全国免税店協会の会長を務める。全国間税会総連合会常任理事、東京国税局間税会連合会副会長。1955年、新潟県生まれ。

中村好明(なかむら・よしあき) 1963年生まれ。ドン・キホーテ入社後、分社独立し現職就任。自社グループの他、公共・民間のインバウンド振興支援事業に従事。日本インバウンド教育協会理事。ハリウッド大学院大学および神戸山手大学客員教授。日本ホスピタリティ推進協会理事・グローバル戦略委員長。全国免税店協会副会長。みんなの外国語検定協会理事。観光政策研究会会長。一般社団法人国際観光文化推進機構理事。著書に『ドン・キホーテ流 観光立国への挑戦』(メディア総合研究所、2013 年)、『インバウンド戦略』(時事通信社、2014 年)、『接客現場の英会話 もうかるイングリッシュ』(朝日出版社、2015 年)、『観光立国革命』(カナリアコミュニケーション、2015 年)、『地方創生を可能にする まちづくり×インバウンド 「成功する7つの力」』(朝日出版社、2016年)がある。

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