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[連載]観光立国のフロントランナーたち 澤の屋旅館 館主 澤功(1) 

2016/10/03
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日本のインバウンドビジネスを切り開いてきたひとり、ジャパンインバウンドソリューションズの中村好明代表取締役社長が聞き手となり、訪日ビジネスの最前線を走る人々を迎え、「観光立国」日本に向けて、いま何が大切かを探る対談連載。題して「訪日ビジネス最前線 観光立国のフロントランナーたち」を始めます。

第1回は、東京・谷中で訪日客を迎え続けて35年を数える澤の屋旅館の館主、澤功(さわ・いさお)さん。止むに止まれず始めた訪日客対応だったという意外な事実から、訪日客4,000万人時代に向けて日本の旅館はどうするべきかまで4回(毎週月曜日掲載予定)に渡ってお伝えします。

やむにやまれず始めた訪日客の受け入れ

中村好明 訪日外国人旅行客(インバウンド)を迎え入れるきっかけを教えてください

澤功 澤の屋は、先代が昭和24年に8部屋から始めて、お客さんが入るからと間もなく16部屋にした。そんな旅館の一人娘だった家内と、縁があって結婚したのが1964年。東京五輪の年だったから、今年で52年目。

 

万博を契機に減る宿泊客 どうしたらいいのか!

201609211455_1-300x0.jpg澤の屋旅館館主 澤功(さわ・いさお) 1937年、新潟県豊栄市生まれ。1960年、中央大学法学部卒業後、東京相互銀行(現在の東京相和銀行)入行。1965年、澤の屋旅館館主。1993年、ジャパニーズ・イン・グループ会長(98年まで)。1997年、日本観光旅館連盟常務理事、1998年、日本観光旅館連盟東京支部支部長

中村 澤さんが入られたころは、どのような宿だったのでしょう?

 修学旅行客の最盛期。それと「商人宿」って言って、ビジネスの方が大勢来てくださった。結婚して3年目に、鉄筋3階建てにして、16部屋から24部屋に増やした。ゆくゆくは40部屋にするつもりでした。ですが、1970年の日本万国博覧会の後からかな。お客さんが、どんどん減っていった。

中村 万博を契機に減ったと?

 ええ。目に見えて減っていきました。修学旅行は大きい部屋に10人で寝ていたんですよ。枕投げが一番楽しい思い出だったという時代ですね。ところが1人1部屋の時代になった。大きな部屋で、10人で寝るなんて嫌だ。それで、修学旅行の宿泊先がホテルに変わっていきました。

中村 そうでしたか。

 次に多かったのが商用のお客さま。製薬会社の方が毎月いらして、夕食を食べてお酒を飲んで、麻雀を興じたり。1つの部屋に4、5人で寝ていたんですが、駅前にビジネスホテルができ始めた。修学旅行と同様、1人 1部屋の時代になって、係長と同じ部屋で寝たくなんかない。今考えるとうちの経営の仕方と、日本の旅行の仕方とが完全に離れていったのでしょうね。修学旅行も商用出張も、宿泊先は、ふろもトイレもない大部屋の旅館から、個室のホテルへと変わり、どんどんお客さんが減ってしまって。

中村 日本人のライフスタイルが変わったのですね

 そんなときでした。もうなくなってしまったのですが、東京・新宿にあった「やしま旅館」さんに「日本のお客さんがいらっしゃらなかったら、外国のお客さんを受けなよ」って勧められたんです。

中村 ほお

 しかし、日本のお客さんが泊まらないような、おふろもトイレもついていない部屋に外国のお客さんが泊まるわけないじゃないかと、ためらいました。そこへもって1972年になると、うちにとって一番大切だった、上野駅からの足である都電がなくなってしまった。

中村 都電、上野から谷中まで走っていたのですか?

 ええ。1972年まで。上野公園から、うちのすぐ近くまで。商用のお客さまは、都電があるうちは、まだきてくださったのですが、とうとうその足が絶たれてしまったのです。もう、24部屋もある旅館としては、持ちこたえられなくなった。木造部分を半分壊して、そっちは10部屋のアパートにして、家賃収入で生活していた。

中村 そうでしたか
 

先達・やしま旅館が教えてくれたこと

201609211525_1.jpg1963年、佐賀県生まれ。上智大学出身。2000年ドン・キホーテ入社。08年、社長室ゼネラルマネージャー兼インバウンドプロジェクトの責任者に。13年、ジャパン インバウンド ソリューションズを設立、その代表に就任。ドン・キホーテグループに加え、国・自治体・民間企業のインバウンド分野におけるコンサル業務、教育研修事業、プロモーション連携事業に従事。全国各自治体、企業で年間約200本の講演活動を行う。

 やしま旅館の矢島恭さんから「外国のお客さんを受けなよ」って言われても、言葉の問題もありました。私は大学は出ているけど、外国の人と話したことはない。イタリアの人が来て、フランスの人が来て、フロントでイタリア語やフランス語で話しかけられたって対応できるわけがない。言葉が分からないのだから、泊まってもらえるはずがない。だいたい、バス、トイレなしの和室ですよ。そんなことを悩んで、1年間、身動きが取れなかった。1982年の夏、お客さんが0人っていう3日間がとうとう来ちゃった。

中村 そうでしたか

 潰れるなと思った。それで、家内を連れて、くだんのやしま旅館さんに行ったのです。そうしたら、外国の人であふれている。「3人余ったから、そっちに連れて帰ってよ」なんて言う。

中村 大繁盛ですね

 矢島さんが旅館の中を見せてくれると、うちと同じ12部屋で全部が和室。バストイレ付きの部屋は2部屋だけ。ああ、設備は一緒だ。

中村 和風旅館でも外国のお客さまには問題なかったのですね

 そう。それと、矢島さんがお客さんに話している英語が実に簡単だった。「We have a room」。部屋が空いている。あとは「OK」。これぐらいの英語だったら、私もできるんじゃないか。家内と「外国のお客さんを受ける以外ない」と話し合って受け入れを始めた。

中村 つまり、バス、トイレのない和室であることも、言葉ができないことも障害ではないことを目の当たりにされ、澤さんとしてしは、止むに止まれず、あるいは追い込まれ多様な形で、訪日客を受け入れるようになった、ということですね

 そうです。あれが、1982年でした、ちょうど35年前ですね。

つづく

第2回「ロンリープラネットからトリップアドバイザー」
10月10日掲載予定

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