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[連載]観光立国のフロントランナーたち 日本航空 大西賢会長(3)

2017/10/10

ジャパンインバウンドソリューションズ(JIS)の中村好明社長(日本インバウンド連合会理事長)が、日本の観光立国実現に奔走するキーマンたちと、その道筋について語り合う大型対談「訪日ビジネス最前線 観光立国のフロントランナーたち」。日本航空の大西会長との対談第3回は、2010年の経営破綻後、社長として経営再建を担うことになった大西会長の会社人生にスポットを当てました。

航空機の製造よりも運用に興味、日本航空を選択

中村 もともと技術畑からスタートされて、経営破綻などを経て社長、会長を務められました。ある意味で波乱万丈な会社人生を歩まれていると思います。日本航空に就職された理由はどんなことからだったのでしょうか。

大西会長 私が通っていた東京大学工学部の学生は機械系が年間300人くらいで航空系が70人くらいでした。航空を選択する学生は変わり者が多くて、私もその一人ですが、就職先はいろいろでした。石油関係に就職したり、自動車関係に就職したりとさまざまでした。

実際、航空系の学生には2つ道がありました。航空機の製造に携わる道か、航空機を運用する道でした。当時、私は、航空機製造はこれから素材の時代になると考えていました。航空機の翼型などの研究はほぼ解析されていて、開発にあまり興味を持てませんでした。一方、素材の開発は将来性があると思っていましたが、私は素材の勉強をしていませんでしたので、ダメかと勝手に考えていました。

一方で、当時、超音速旅客機のコンコルドが開発され、操縦室には、機長、副操縦士に加え、航空機関士が乗っていましたが、将来航空機機関士の仕事が機械化され、2人になるという議論がされているところでもあり、航空機の運用に興味を持ち日本航空を選びました。

中村 実際に入社されて印象的な思い出ややりがいなどについてお聞かせいただけますか?

大西会長 私は技術屋として整備本部の生産管理部門に配属されました。整備本部の主流は技術部という部署で、生産管理部門は社内では傍流の世界だったのですが、逆にそれがすごいラッキーでした。なぜならば、整備本部の中では仕事が完結してないのです。

日々、数多くの飛行機を運航する中で、どこで整備の機会を設けるなどを段取りをする仕事なのです。そのため、社内全体の各セクションとつながらざるを得ないのです。整備本部にいながら仕事は他本部間との調整でしたので、若いうちに飛行機がどのような調整を経て運航するのかがよく分かってきました。社内のどの部署と、どの部署が「うん」と言うと、飛行機を飛ばせるかがすごくよく分かる部署だったのです。そうすると他本部が整備本部に何を要求しているのか、結構、話を聞いていると分かるようになります。

以前、成田空港の整備基地にいましたが、こんなことがありました。週末と週央でお客様の層が違うのです。週末はビジネス客がよく動くからビジネスクラスのシートがいっぱい欲しい。そんな営業の要望が聞こえてくる。何とかできないかということで、一晩で飛行機の中身を作りかえるって言ったらウソになりますけど、エコノミークラスのシートを外して、ビジネスクラスシートを装着する。これを「クイック・コンフィギュレーション・チェンジ」というのですが、すごい工夫で、私が知る限り、世界でやったのは日本航空だけなんですよ。

みんながすごい興味を持つので発表すると、理屈は分かったけど「そんな面倒なことはできない」と、みんな結局やらなかったのです(笑)。今は、ビジネスクラスシートがどんどん豪華になってきましたので簡単に取り外せなくなり、できなくなりましたが、すごく面白かったです。整備の中だけではそういうことは思いつかなかったと思います。

「仕事とは何か」、それは「社員を知る」こと

中村 私はドン・キホーテグループでジャパンインバウンドソリューションズという会社を経営していますが、やはり若いころに現場のいろいろな部門とのつながりを知っておくことは大事だと思います。経営というのは、ある意味、現場から追い出されるので、直感的にグループの全体を把握していないと、長期的な戦略などが立てにくいですよね。

大西会長 それは正しいと思います。おそらく、私の仕事の仕方がそうだと思います。日本航空の社長になる前、鹿児島に本社がある日本エアコミューターという約600人の会社の社長になったのですが、全員の名前を覚えました。その前に約1600人の社員がいる成田の整備関連の子会社の社長をしていたのですが、3年くらいかけて約1600人の名前を覚えました。

日本エアコミューターの社長になって、600人の名前を覚えるのは簡単だと思って、総務部にホワイトパネルを買ってきてもらい、600人分みんなの写真を張って覚えました。目標を定めて名前を覚え、こいつはどこに行けば会えるかというのが分かるので、とことこって行って会話して帰ってくる。これを3カ月続けていたら、300人まで覚えることができました。でも、よく考えると、この300人は地上勤務の社員だったのです。つまり、運航乗務員・客室乗務員の名前が全く覚えられていなかったのです。彼らは、オフィスが機内なので、フライトの約1時間前に出社して、飛行機に乗り、帰りは飛行機から降りたら30分ほど打ち合わせをして帰ってしまうのです。

彼らのオフィス(機内)に行かないと彼らには会えないので、とにかく飛行機に乗りまくりました。私は出社すると、いきなり飛行機に乗り込みました。これはすごい効率が悪かったですね。国内線ですから早番と遅番の2交代制で、早番は、朝7時ごろから飛び出して、午後1~2時ごろまで飛び、それでその日は終わります。遅番は、午後1時くらいに出社し、午後10時ごろまで飛んで終わります。この2チームで一つの飛行機を運用するわけです。だから1日かけて覚えられる運航乗務員の名前は、4人だけなのです。

一方、客室乗務員については、日本エアコミューターは小型機中心の運航ですので、日本航空が運航する中型機、大型機に比べて少なく、飛行機の大きさによっては、一人しか乗っていない便もあります。多くても2人です。したがって、最大でも1日で8人の客室乗務員しか覚えられないのです。でも、それを地道に繰り返しているうちに覚えられるだろうと思っていたら、日本航空の社長になるよう命じられて、10カ月で本社に戻ることになりました。

結局、覚えられずに終わったのですが、「仕事は何か」といえば、まず「社員を知る」というのが絶対だと思います。逆に言うと、「社員を知る」ことで会社のオペレーションをすべて知ることになります。僕はそこが原点だと思うのですよね。今の職場は、グループを含めて3万人以上もいますから、全員の名前を覚えるのは難しいですが…。

機内アナウンスのタイミングにも心遣い

中村 同時に今、話されたプロセスっていうのは顧客目線ということを体感するプロセスだったのではないですか。

大西会長 全くその通りです。私たちはある意味、すごく恵まれていて、空港でお待ちしていれば、お客様と空港でお会いすることができます。お待ちしているとお会いできて、そこでお話ができたりします。お客様にお会いするにはきわめていい商売なのです。

中村 私は年間200日くらい出張して、ほぼ毎日のように飛行機を利用しています。年間大体100日は海外に出かけているので飛行機はひとつの職場みたいに感じています。その中で、日本航空の乗務員のみなさんのモチベーションがこの5、6年ぐんと上がっているのを感じます。

大西会長 ひとつの典型的な事例として、運航乗務員の機内アナウンスも定型パターンをやめています。運航乗務員は「社長、あれ(機内アナウンス)、大変なんですよ。前の晩に何しゃべるか考えているんです」と言っていました。日本語だけだったらいいのですが、英語にしなくてはいけないので、もっと大変だとも言っていました。ですが、自ら考えた言葉なので心がこもるのですよ。

中村 国際線で面白い映画を見ている途中、急にアナウンスメントが入って「なんだよ」って思ったりすることもありますが、そんな心づくしのコメントが入ると、ほっとしたりします。

大西会長 今、PA(Passenger Address)とわれわれは言っているのですが、運航乗務員たちが研究会を立ち上げて、お客様の映画鑑賞を邪魔しないよう、どのタイミングでアナウンスをすればいいかといったことを研究しています。自由度を与えるとそういうところまで考えるようになるんですよね。

アナウンスで「楽しいところが途切れた」というお客様のコメントが来ますが、そういうところを真剣に考える。やらされてやるわけではなくて、彼らとして変えたいと考えています。そういう不便や不満を解消したいと、いろいろ考えながら取り組んでいます。ずっと黙っているときもありますが、それには、何か理由があるんです。

アナウンスがなかった、定例のアナウンスしかなかった、その理由を聞くと、「こういう判断で今回はやめました」といろいろ配慮しているのです。組織が「こうやってやりなさい」と言ってもなかなかできないと思いますが、彼ら自身が「改善したい」「しっかり聞いてもらいたい」「それなりに反応がよくない」と感じて、一生懸命考えています。これは、サービス向上につながっているんですよ。(続く)

大西賢(おおにし・まさる) 東大工学部卒。1978年日本航空入社。技術畑を歩み2002年整備本部部長、整備本部副本部長兼JAL航空機整備成田社長、執行役員などを経て2009年西日本の地域路線を運航するグループ会社の日本エアコミューター社長などを歴任。2010年1月の日本航空の会社更生法の適用申請後の2月、経営再建を担い社長に就任した。同時に会長に就いた京セラ名誉会長の稲森和夫氏とともに抜本的な経営改革を進め、V字回復を達成。12年9月には再上場を果たした。同年2月から会長。日本空港ビルデング社外取締役、公益財団法人JAL財団理事長、一般社団法人航空保安研究センター代表理事。1955年大阪府生まれ。

中村好明(なかむら・よしあき) 1963年佐賀県生まれ。ドン・キホーテ入社後、分社独立し現職就任。自社グループの他、公共・民間のインバウンド振興支援事業に従事。2017年4月、一般社団法人日本インバウンド連合会理事長に就任。日本インバウンド教育協会理事。ハリウッド大学院大学および神戸山手大学客員教授。日本ホスピタリティ推進協会理事・グローバル戦略委員長。全国免税店協会副会長。みんなの外国語検定協会理事。観光政策研究会会長。著書に『ドン・キホーテ流 観光立国への挑戦』(メディア総合研究所、2013 年)、『インバウンド戦略』(時事通信社、2014年)、『接客現場の英会話 もうかるイングリッシュ』(朝日出版社、2015年)、『観光立国革命』(カナリアコミュニケーション、2015年)、『地方創生を可能にする まちづくり×インバウンド 「成功する7つの力」』(朝日出版社、2016年)がある。

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