Logo sec

[連載]観光立国のフロントランナーたち 日本航空 大西賢会長 (1)

2017/09/25

ジャパンインバウンドソリューションズ(JIS)の中村好明社長(日本インバウンド連合会理事長)が、日本の観光立国実現に奔走するキーマンたちと、その道筋について語り合う大型対談「訪日ビジネス最前線 観光立国のフロントランナーたち」。今回は日本航空の大西賢会長が登場します。2010年の経営破綻から、みごとにV字回復を果たしました。破綻後、社長として経営再建の重責を担ってきた大西会長にその原動力は何だったのかをうかがいました。

「過去との決別」が経営再建の第一歩に

中村 日本航空は2010年の経営破綻から劇的にV字回復されました。さらに現在、大きく成長されています。その原動力は何なのかお聞かせください。

大西会長 まず初めに、7年前の2010年に破綻し、お客さまをはじめ、株主の皆さま、債権者の皆さま、お取引先の皆さま、そのほかの多くの関連の皆さまに大変なご迷惑、ご心配をおかけしました。この場をお借りして改めて深謝させて頂きます。また、その後の再生過程でも、多大なるご尽力とご支援を頂きましたこと、そして、今も弊社便をご愛顧頂いておりますことに御礼を申し上げます。

私は2010年3月に社長に就任し、これから会社をどうしていくべきか考えた際、まずやるべきことは「過去との決別」でした。過去を引きずることなく、まったく新しい会社になることを宣言させていただきました。今振り返ると、本当にそれが第一歩だったと思います。

中村 その「過去との決別」という点で当時、一番痛感されていたのは、何との決別だったのでしょうか。

大西会長 旧経営陣は総退陣し、新しい経営陣が任に着きました。彼らと議論したのは、まず、われわれはいったい何故経営破綻するに至ったのかということでした。当時、メディアにはいろいろな分析記事が出ました。湾岸戦争やリーマンショックなど、さまざまな外的な事象を挙げて、その結果破綻したというような分析もございました。しかしながら、われわれとしては、「そうではない。私たちの内側に絶対問題がある。そこを解き明かさないといけない」という思いがありました。赤字会社で、出血を止めるためにまずやらなければならないのは事業構造の改革、つまり外科的手術です。

次に、いくら外科的手術が成功しても、内なる病の根治、つまり、再度の発症を防ぐ手立てを講じなければ意味がないことは自明です。そのための内科的な治療、体質を変革するので東洋医学、漢方という表現が当てはまるのかもしれませんが、漢方のようにじっくり時間をかけてというわけにはいきません。スピードが必要であり、「内なる構造改革」、つまりJALの内面的な構造改革を早期に進めていかなければいけない状態でした。内科的治療はどんなところで必要なのかというと、それはものすごくたくさんありました。

例えば、われわれが事業計画を策定する際、考え方すべてが右肩上がりを前提としていました。仮に、景気の浮沈があったとします。景気が低迷している時にみんなが何を考えるのかというと、最終的には景気は好転し右肩上がりになるだろうと考えてしまうのです。その結果、対策を打とうとしない。そういう事例がたくさんあったのです。

中村 無自覚的な過去の時代意識への埋没ということなのでしょうか。

大西会長 それが普通だという考え方になじんでしまっているところで、いかに考え方や意識を変えていくのかということが一番の課題でした。その意味で、外科的手術は当然やらなくてはなりません。それが事業構造の改革です。事業構造を改革するときに一番考えなくてはいけないのは、どこまで事業規模を縮小するかです。あまりに路線などを切りすぎると、デススパイラルに入ってしまい、もう縮小しかなくなってしまします。

「よそ者、バカ者、若者」が再建の原動力に

中村 京セラ名誉会長だった稲盛和夫さんや企業再生支援機構の瀬戸英雄さんら外部の方のリーダーシップが大きかったですか。

大西会長 ある時、外部の方に今のわれわれはどう見えますかということをうかがう機会があったのですが、その方は「ひょっとしたらあなたたちは再生できるかもしれない。なぜなら…」と言って挙げられた理由が、「よそ者、バカ者、若者。これがそろっているからだ」ということでした。「よそ物」というのは、稲盛さんをはじめとしてさまざまな方々が外部から来ていただいたことです。

中村 日本航空の経営再建のために組織された再生タスクフォースのなかにもそういう方が入っていた。

大西会長 そうです。そういった外部の方に来ていただきました。そして、旧経営陣が誰もいなくなり、はっきり言えば、ひよっこの経営者たちばかりになりました。これは十分若いし、経営経験が少ないバカです。この三要素がそろっている。「ひょっとしたらうまくいくかもしれない」ということです。そんな風に言われていたんです。このような状況の中、私たちだけで、何かを考えてもそれはなかなかうまくいかなかったと思います。

外からいろいろモノを言う外部の方の意見というのは、極めて大きかったです。その当時、私の言い方も悪かったのかもしれませんが、「過去との決別」と言っている中では、人間はなかなか自信をもって「これで行きましょう」とはなかなかいきません。「お前の過去は忘れろ」といったん言った上で「どうするのか考えてみろ」と言っても、しょせん人間は過去の経験に基づいて考え、言うことの方が多いからです。

中村 今おっしゃった「よそ者、バカ者、若者」の中で、外部からの優れた知見をもった人たちがやってきたことによって、社内の生え抜きの改革者たちの新しい考えを引き出せたということですね。

大西会長 そうです。それが一つ。もう一つあったのが今申し上げたように、われわれははっきり言って、心が真っ白になったんです。だからそういう外部のアドバイスのようなものがほしいと思いました。渇望です。外部のリーダーシップがほしい、心のよりどころがほしいとみんながそう思うタイミングがわれわれにはありました。

おそらく事業を継続されている会社でみんながそういうものをほしいと思うような気になるのはすごく難しいことだと思います。しかしながら、われわれは、いったん考え方にしても、過去を否定しているわけですから、何か心のよりどころがほしいとだんだん思うようになりました。そこで、新しい企業理念を作りだしたり、自分たちのフィロソフィ(哲学)を作り出したりしたのです。それが、みんながほしがっているものでしたので、みんな抵抗せずに素直にそこへ入って行けたのだと思います。

復活のシンボルとJALフィロソフィ

中村 2011年にロゴマークをもともとのシンボルだった「鶴丸」に変更されました。そこにはどんな思いがあったのでしょうか。私自身は原点回帰を目指されているという思いを感じ取りましたが。

大西会長 鶴丸のロゴは、2002年に旧日本航空と旧日本エアシステムが統合した際に新しいロゴに変更いたしました。これは両社が過去に掲げていたものをいったん取り下げ、何か新しいものを作ろうということになり、それで鶴丸のロゴから新しい太陽のアークのロゴとなりました。

さて、今回、「鶴丸」を再度掲げることについて、役員会などで議論すると、「鶴丸いいよね」という声があがりました。われわれの世代は郷愁を持っていますからね。でも、ちょっと一瞬、頭を冷やしてもっといろいろ意見を聞いてみようということになりました。そこで、社員のサンプリングを20代、30代、40代、50代と世代別に聞いてみました。こういう場合、極めて多様な意見が出るんです。好き勝手なことを言えますからね。ところがフタを開けみますと、どの世代も「鶴丸」だったんですよ。一番支持率が低いと思われた世代も80%は鶴丸でした。

そうなったらもう役員会の議論なんて必要ない。圧倒的な支持ですから。そういった思いが確認できたので、喜んで鶴丸に戻しました。われわれは若い社員からは違う意見が出るのではないかと思っていたのですが、みんな意外と鶴丸のロゴが好きだったです。

中村 それが復活のシンボルにもなったのですね。

大西会長 一つのシンボルになっていると思います。私は、この会社の成り立ち自体が後を押してくれたと思っています。それは何かというと、破綻当時、大変多くの方々にご迷惑とご心配をおかけしたわけですから当然のことですが、多くのお客様から厳しいお言葉を頂戴いたしました。例えば、」カウンターにお客様が来られて、ふだんでしたらそこまでは気にならないような、ちょっとした手間をかけていると、「だからつぶれるんだ」というようなご意見を多くいただくこともありました。

当時の社員は、毎日こころが折れそうになるような気持ちであったに違いありません。

そのような時に、10人に1人、いやもっと少なかったかもしれませんが、お客様から「応援しているよ」「頑張って」と応援のお言葉を頂いた最前線の社員が、たまらずバックオフィスに駆け込み、その感激に泣き崩れるさまを私は何度も目にしました。そういうお言葉は全くの予想外でしたので。機内でも客室乗務員がお客様から励まされて、厨房のところに駆け込んで泣いていたりすることもございました。

JALは完全に「B to C」の企業であり、社員の大半が直接あるいは何らかの形でお客さまと接する機会を持っており、その意味ではほとんどすべての社員がこのような体験をし、そして、感謝という意味が社員全員の心に浸みわたった時でした。いばらであっても、再生の道を歩こうと皆が心を一つに出来たのはこの皆様の応援のおかげだと思っています。

中村 今までホスピタリティの心で接してきたからこそ、それが返ってきたというところもあったんでしょうね。でも、そういうような再生のプロセスの中で、そういう最前線の人たちが、ある種の誇りを取り戻していったんですね。

大西会長 JALの再生には、新たなJALグループ企業理念とJALのフィロソフィが必要であると強く思い、新たなJALグループ企業理念と共に、JALフィロソフィを策定しました。自分は何故、何のためにこの会社で働くのか? これをわれわれは企業理念として策定すべきだと。先ほど申し上げたたようにみんなが本当に真っ白な心というか、乾き切った心の中に何かほしい、心のよりどころがほしいと思っている中で、みんながそれを素直に受け取るアプローチと、下から本当に湧き上がるようなアプローチがありました。そういう意味で会社が一つになっていくのがものすごく早かったです。経営陣や下からの一方通行だったらもっと時間がかかっていたはずです。

中村 社内のいろいろなものが一致して。この7年のV字回復の原動力になったということですね

大西会長 根っこの原動力はまさしくその通りです。経済状態がよかったことが後押しになりましたが、われわれが作り上げてきたものは絶対生きていると思いますし、もう一度、この改革は継続していかなくてはならないと思います。破綻を経験した僕たちは重々身にしみていますが、新入社員は次から次と入ってきます。もう一度、時間がたったら、もう一度振り返って「今どうなんだ」からスタートして、何をすべきか、ということを考えなくてはいけないと思います。その意味で、企業理念やフィロソフィを作って一番よかったなと思いますね。このJALフィロソフィーを血肉化していくためにはまだまだ努力が必要だとは思いますが、既に顕著な効果も出てきています。

例えば、新たに人を採用しようとするときに、何を基準に採用するの?と採用担当者に聞いたとします。過去は、おそらく「優秀な人材を採用する」と答えたと思います。今は違います。私たち企業理念やフィロソフィに本当に共感してくれる人、そういう人材を採用したいと言うでしょう。これはすごく強いことです。何を考えているか分からない優秀な人を採用するよりは、やっぱりみんなでこういうことをしたい。その時に考えるベースは、企業理念であり、JALフィロソフィだと思っている人を採用できるとでは極めて大きいですからね。本当に作ってよかったと思います。(続く)

大西賢(おおにし・まさる) 東大工学部卒。1978年日本航空入社。技術畑を歩み2002年整備本部部長、整備本部副本部長兼JAL航空機整備成田社長、執行役員などを経て2009年西日本の地域路線を運航するグループ会社の日本エアコミューター社長などを歴任。2010年1月の日本航空の会社更生法の適用申請後の2月、経営再建を担い社長に就任した。同時に会長に就いた京セラ名誉会長の稲森和夫氏とともに抜本的な経営改革を進め、V字回復を達成。12年9月には再上場を果たした。同年2月から会長。日本空港ビルデング社外取締役、公益財団法人JAL財団理事長、一般社団法人航空保安研究センター代表理事。1955年大阪府生まれ。

中村好明(なかむら・よしあき) 1963年佐賀県生まれ。ドン・キホーテ入社後、分社独立し現職就任。自社グループの他、公共・民間のインバウンド振興支援事業に従事。2017年4月、一般社団法人日本インバウンド連合会理事長に就任。日本インバウンド教育協会理事。ハリウッド大学院大学および神戸山手大学客員教授。日本ホスピタリティ推進協会理事・グローバル戦略委員長。全国免税店協会副会長。みんなの外国語検定協会理事。観光政策研究会会長。著書に『ドン・キホーテ流 観光立国への挑戦』(メディア総合研究所、2013 年)、『インバウンド戦略』(時事通信社、2014年)、『接客現場の英会話 もうかるイングリッシュ』(朝日出版社、2015年)、『観光立国革命』(カナリアコミュニケーション、2015年)、『地方創生を可能にする まちづくり×インバウンド 「成功する7つの力」』(朝日出版社、2016年)がある。

あわせて読む

「人気」の記事をもっと見る

旅行業

もっと見る
「旅行業」の記事をもっと見る 「連載」の記事をもっと見る

観光立国のフロントランナーたち

もっと見る
「観光立国のフロントランナーたち」の記事をもっと見る

日本航空

もっと見る
「日本航空」の記事をもっと見る

大西賢

もっと見る
「大西賢」の記事をもっと見る