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[連載]球団代表、空に挑む(中)関西エアポート・機谷俊夫CAO “ジェットコースター”のようだった「プロ野球の世界」

2017/06/22

関西国際空港を運営する関西エアポートの最高管理責任者(CAO)の機谷俊夫さんはプロ野球のオリックス・バファローズの元球団代表を務めた際、激変した球界の中枢で経営問題に関わった。球団の統合・創設やドラフト制度、交流戦などの改革だけでなく、所属選手の逮捕への対応にも奔走。一方で、選手たちの“プロ意識”に感銘を受けたという。(嶋田知加子)

近鉄との統合、隠密に行動したものの…

201706202039_3-300x0.jpg入団会見で、プロ野球オリックスの当時の機谷俊夫球団代表(右)と握手をするタフィ・ローズ外野手=平成19年3月

――平成17年からはプロ野球オリックス・バファローズの運営を任された

機谷 もともと野球少年で、日本で12しかないプロ野球の球団を経営しているのですから、一度は携わってみたいと思っていました。スポーツビジネスにかかわるのは初めてで何ができるのかとも思いましたが、異動希望を出したら初めて希望が通ったんです。

――前年には、近鉄との統合があった

機谷 当時は異動前でまだ本社で広報を担当していました。統合の発表を準備するため、近鉄の広報側とも打ち合わせを内密に進めました。互いの事務所を行き来しないようにもしたのですが、事前に一部の新聞で報道されました。確か記者から電話があったのは午前1時ごろ。「悪魔の時間」です。当然、やめてくれとも言えません。

――近鉄と統合して1年目のシーズンを終えたオフに広報責任者として球団に着任した

機谷 えらい世界やなと思ったのが最初の印象です。まず驚いたのは、事務所の中に、普通の民間企業にはないメディアの部屋があること。常にわれわれの動きを見られているのです。どうにかしてほしいと思ったのが正直なところでした。

――球界のこれまでの悪い部分が一気に噴出した頃でもあった

機谷 リーグの理事会や12球団による実行委員会などが大変な頻度で開催されました。ドラフト制度のあり方や交流戦の試合数などさまざまな問題が浮上した。オリックスと近鉄との統合、楽天という新球団誕生がそれらの発端でした。

所属投手が「無免許ひき逃げ」で逮捕

――多くの問題を話し合う中心的な存在でもあった

機谷 そうですね。とくにファンを裏切る裏金問題も発生し、それをなくすための制度作りには特に必死で取り組みました。またクライマックス・シリーズのスタートに向けての侃々諤々(かんかんがくがく)の議論も思い出深いです。

――ただチームは18年がリーグ5位、19年は最下位と低迷し、所属していた投手の逮捕もあった

機谷 球団代表になっていたこともあって、精神的にとてもきつかった。すべてがどん底でしたから。(所属投手が逮捕された)19年1月、久々に休日があって恒例だった家族旅行を計画していたんですけど、選手の契約更改交渉が長引いたこともあり、私は旅行に行かずに自宅にいました。すると、朝に選手が道交法違反(ひき逃げ、無免許)などで逮捕されたとの電話。状況が分からず確認に追われました。

――メディア対応に追われた

機谷 記者会見には社会部記者も来ていて、報道陣の多さにとにかく驚きました。その後、すぐに被害者の方に謝りに行きました。私を残して旅行に行った家族は、旅行先のテレビに突然映った私の姿にさすがに驚いていました。

元野球少年

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――もともと野球が好きだった

機谷 小学4年生からリトル・リーグに入りました。投手です。あの頃の子供たちはみんな野球が好きで、普通に野球をして遊んでいましたからね。

――野球はいつごろまで

機谷 中学は陸上部で三段跳びをしていました。高校はクラブに入らなかったのですが、大学生になってからなぜか、またできるんじゃないかと思って。大阪市立大で準硬式野球部に入りました。

――ポジションは

機谷 やはり投手です。自分で言うのも何ですが、制球力は良かった。特に苦しいときの外角低めの直球。これが調子が悪いと決まらない。プロ野球でも、好投手が時々乱れることがあるでしょう。

開幕にあわせるローズのプロ意識に感服

――球団代表となったプロ野球オリックス時代で印象深かった選手は

機谷 どの選手も思い出深いですが、やはりタフィー・ローズ選手ですね。巨人を退団し、1年半も野球から離れて、テスト生としての入団でした。体もかなりぶくぶく太っていて来日した。メディアには「こんな選手を呼んで何を考えているのか」と散々たたかれましたね。

――それが批判を覆す活躍をみせた

機谷 本当にたいした選手です。開幕に合わせてちゃんと計算し、ストイックに体を絞りました。例えば食事。春季キャンプの宿舎のバイキングで、選手は大きな皿にたっぷりと盛ってしっかり食べるのですが、タフィーの皿には真ん中にちょこっとあるだけ。かなり節制していました。

――でもフロントとしては内心、心配していた?

機谷 テスト生でしたから、最初から結果を出さないとクビになる。それが、キャンプ中の紅白戦で、絶好調だった平野佳寿投手からスコーンと本塁打を打った。ひょっとしたらいけるんじゃないかと。

――実際は

機谷 平成19年のリーグ開幕戦(対ソフトバンク)でいきなり、前年18勝の斉藤和巳投手から本塁打を放った。審判や相手チームによく暴言を吐くので、しょっちゅう謝りにもいきましたけどね。

統合チーム率い、癌に倒れた仰木彬さんの壮絶な生き方

――ほかにも個性的な選手が多かった

機谷 下山真二選手(現オリックス打撃コーチ)はめちゃくちゃ元気で明るい性格。チームの調子が悪いとき、ああいう選手の存在は非常に必要だと感じさせられることが多かった。野球はチームでやるスポーツですからね。

――監督にも思い出がある

機谷 17年の統合新チームを率いた仰木彬監督は本当にすばらしい方でした。まだ本社の広報マン時代でしたが、新ユニホームのことなどについて話しましたが、最後はがんに蝕(むしば)まれながら指揮を執られた。相当痛みはあったと思いますが、大変な気遣いをしてくださった。その年の12月に亡くなられましたが、球団で一緒にやりたかった。

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